新着情報

浦和伊勢丹は昨日で終了でした

明日からは、相模原伊勢丹の『大九州展』が始まります。

相模原近辺のお客様は、桐里工房の新商品を御覧頂けます…。

宜しくお願い致します。


2017-09-05

大川家具桐たんすと大川産桐たんす

大川家具の原点になる大川産の桐たんす!!…。

大川家具の歴史を探れば探るほど、桐たんすに対する大川の職人達の思いや、情熱を感じてしまいます。

 

私の独自の調査では、大川こそが桐たんすの発祥の地ではないかと考えています。

大川市と大川桐たんす振興会での、大川産桐たんすを、筑後地方を中心に調べたところ、現存する桐たんすの中には、江戸時代の後半に大川で作られた桐たんすが出てきています。

桐の刀箪笥は、もっと古い時代に大川で製造されていたことが解っています。

 

大川の市木(シンボルツリー)は桐の木です。


2017-09-03

大川産桐たんす

四季彩大川市で製作された桐たんすは、現在でもかなりの数が残っています。

大川家具の原点が桐たんすなのです…。

大正時代から昭和初期には大川の6割以上が桐たんすを製作しており、榎津物、郷原物、本木物と呼んでランク分けされていました…。

 

各々の、桐たんす職人と、雑木(楠木や欅等の広葉樹の事)たんす職人が大川独特の技法で、手作りの中で盛んに腕を競っていました。

 


2017-09-03

桐の蔵ギャラリー、桐たんす工房桐の蔵

あ桐里工房のアンテナショップである「ギャラリー桐蔵」、「桐の蔵」、「桐の蔵ギャラリー」では、桐たんすの中古品を新しく修理再生や更生、リサイクル、リノベーションさせて、本物の桐たんすをより安く、お求め頂ける、桐たんすリサイクルショップを導入させるための検討を行っています。

 


2017-09-02

浦和伊勢丹の『大九州展』

昨日から浦和の伊勢丹で、『大九州展』が始まりました。

初日の昨日は、多くのお客様に御来店頂きまして、長い行列が出来ていました。

今日も、良いお客様と巡り会い、素晴らしい御縁を頂き、感謝、感謝の2日目でした…。

 

明日からもう9月になりますが、九州展の最終日は9月4日(月)です…。

 


2017-08-31

桐たんすの買取りについて

前回の『桐たんす買取り』についての投稿についての質問が、多数寄せられておりますが、今現在の段階では、中古品の桐たんすの買い取り相場が分からず、まだ検討中で御座います。

誠に申し訳ありませんがまだ実行には至っておりません。

又、私共、桐里工房での製作商品は、幾つかの業者が買い取りをされていらっしゃいますが、当社とは無関係で御座います。


2017-08-26

桐たんす中古

20170609_14531120170727_200122創業105年になる老舗の桐たんす工房の『桐里工房』でこれ迄、三代に渡って製造された桐たんすや桐のテーブルや桐の椅子、又は桐のベッド等の、創作桐家具などを、昔にお買い求め頂きました御客様には、長い間、ご愛用頂きまして、古くなった、中古品の桐たんすや、創作桐家具などは、7~80年御使用されても、削り直しや、修理、更生(リニュアル)が出来、又新品同様になりまたご使用いただけます…。

 

大きすぎる物は、カットして小さいサイズにしたり、現代の部屋のデザインに合わせてリノベーションして、様々な現代家具に変身させる事が、桐里工房独自の技法により(特許申請中)可能になりました…。

 

それに桐里工房で製造された全商品は、中古品としても価値が上がっていますので、万が一、手離す状況になられたお客様には下取りも可能ですので、安心してご使用いただけます…。


2017-08-07

桐たんすの買取り

butudan4_220170609_145311桐里工房で作られた桐たんすや桐家具、桐のテーブル等は、客様が御愛用頂いて古くなっても価値が有りますので、桐里工房にて鑑定させて頂きまして、買取りを検討したいと考えております…。

 

古くなった桐たんすは、現在の新しい桐たんすよりも、価値が上がっていますので、修理や更生を行う事で、新品に蘇ります。

 

また、桐里工房で作られる、全ての家具は修理やリニュアルが出来る様に作られていますので安心してご使用いただけます…。

 

 


2017-08-06

桐たんすの修理

桐たんすの製作者にとっては、桐たんすの修理、更生は義務的なものがあり、自分が製作した桐たんすは、必ず修理、更生がおとずれる…。

 

又、もしも、自分の造った桐たんすが、他の職人の手に渡り、修理されても恥じるべき桐たんすではない様に、真心を込めた良い造りの桐たんすでは無くてはならないのである…。
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2017-08-04

桐箪笥の歴史

大川市における、木工、指物の起こりは古く、今から480年以上前の室町時代後期とされている…。

 

時は戦国時代に、さかのぼりますが、この戦国の世で、戦に疲れはてていた一人の武将がいました。幾人もの人を切捨て、戦いを続けている事に疑問を抱き、突然出家して、仏門を叩き、修業の身となり、逃げる様に苦行の旅に出ます…。

追手を交わしながらも、辿り着いたのは筑後大川国でした。この藩境の港町は、九州最大の筑後川(筑紫次郎と呼ばれていた)の川下にあたり、有明海にそそがれた立地にあり、大きな港の交易が盛んで、たいそう繁盛しておったそうだ…。

また、度重なるこの筑紫次郎の氾濫にて、洪水に襲われ、上流から多くの木材が流れ着き人々を苦しめていました。

旅の貧しい僧は、この地に願連寺という御寺を築き上げ、民人の上に立ち、説法を説いていったのである…。

 

又、この地は川下から海洋に出やすく、海洋貿易が盛んなため、多くの木造船が作られていた。木材は川上の九州の山々から、筏を組んで流していた。

その為、この筑後大川国には多くの木材が集まり、木材の大集積地となり、沢山の船大工の職人達が、腕を競っていた。

この様な環境の中、願連寺の和尚は、御弟子さん達に指物の修業を命じ箱物や建具を作り始めた。この和尚こそが、大川の木工の祖とされる榎津久米之助である…。

大川の家具作りの始まりである。

 

では、桐箪笥の歴史を考えてみよう。

先ずは、この時代の背景を推測すると、一般的庶民は、衣類はあまり持っていなかったと考えられる為に、恐らく着たきりの人々が多く、たまに洗濯をする位で、着物の収納の箪笥は未だ無かったと考えられます。

富裕層も竹で作られた葛籠みたいな箱に入れていたと考えています…。先ずは男性の為の道具として、現在残っている資料から推測すると、桐箱や文机や桐の刀箪笥等が作られていたと考えられる。

男性上位の筑後大川国においては、女性の為にはせいぜい、素朴な裁縫台位だったのである。

女性の為の着物を収納する桐箪笥が登場するためには、まだまだ時を有するのである…。

 

一般論として、箪笥と呼ばれる家具が産まれたのは、明治維新の後からと云われているにだが、大川の桐箪笥の歴史調査の中で、大川の鐘ケ江氏が受け継いでいた桐箪笥には、嘉永6年製作の刻印があり、現物を大川市が九州産業大学に依頼して調査を行った上で、大川市が保管しています…。

 

それと箪笥という漢字には、竹冠があり語源を推測すると、竹の箱(葛籠)から進歩した物であると考えられる。

そこで大川の桐箪笥の歴史的、大川独自の技法と呼び名があり、他の産地や東京箪笥には見られない技法で、前蟻組みと後蟻組があります。この技法は大川の桐箪笥職人ならば皆が知っている呼び名であります。

又、近隣に金具職人がいて、田口地区にて箪笥等の金具類が打たれていたのである…。

この様、大川の桐箪笥は、他産地にはない独自の呼び名が、一間箪笥を基本に八合物、七合物、六合五合物といった呼び名が在ることから、他の産地とは接点が無くして発祥して進化した過程があると考えられます。大正時代になると、一間箪笥に漆が塗られ、蒔絵を施した、豪華な箪笥も大川独自の物と考えられます。

 

その頃に下り物と言った東京箪笥が下ってきたと記載がありますが、作り方が違うのと棚板が薄く仕上げてあり、大川の命目ある引き出しとは全然違う物であったと伝えられています…。

 

大川の桐箪笥は、筑後川の筏によって川を下っていたのですが、杉と桐の木が多く、この材を主に使い、前桐箪笥、3方桐、箱桐、総桐とランクが分かれていたのである。

 

一番大事なのは、九州は特に高温多湿の為に、どうしても、着物を桐箪笥に仕舞わないと、カビが生えてくるといった必要性から、桐箪笥は生まれたのである。

 

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2017-07-30

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・製品の仕様は製品改良のために予告なく変更することがありますのでご承知ください。
・カタログに掲載されている製品の色調が実物と多少異なる場合がありますので予めご了承ください。

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