新着情報

テレビ取材を受けました

2019年5月16日(木)

アサデス。KBC|九州朝日放送に於いて放送されました。

https://kbc.co.jp/movie/article.php?mid=1&cid=81&cdid=9708


2019-06-01

ユネスコ無形文化遺産登録された戸畑祇園東大山笠祭礼幕の総桐箱作成

ユネスコ無形文化遺産登録され・国重要無形民俗文化財の戸畑祇園東大山笠祭礼幕の収納箱を昨年度よりご注文頂きました。作成にあたり、工房の皆で知恵を絞り苦労して作り上げた特注の特大収納桐箱が出来上がりました。

折り目が付かないように、完璧な姿で保存できるようにする工夫がとても大事でした。

国産の桐を使い日本の風土にあった素材にこだわりました。

担ぎ手の男衆の方達の事も考慮に入れて作成しました。

無事完成に至り3月23日にお納めする事ができました。

全国でも類を見ない最高レベルの祭礼幕の保存箱が出来上がりました。


2019-05-15

桐箪笥の本漆塗りの古い箪笥

筑後の御客様で、古い桐箪笥(大正10年位に大川で製造された箪笥です)ですが、桐里工房で下地から、本漆塗りの工程を経て立派に 甦りました。

今日は配達日となり、御客様にお届けが終わり、御客様の喜びの姿と共に、写真におさまりました。

此からも宜しくお願いします……。


2019-03-16

囲炉裏テーブルの販売

 

横浜の京急百貨店の匠ギャラリーにて桐里工房の個展『奇跡なんだ!』が始まっています…。

 

その個展の中で、完山監督が製作した[桐里工房の囲炉裏テーブルのプロモーションビデオ]を一般公開していますが、

早速、この動画を使って説明したお客様が、この囲炉裏テーブルをお買い求めいただきました。

説明が解りやすいと大変好評ですね…。


2019-01-27

囲炉裏テーブル

囲炉裏テーブルの動画が出来ました。

 

桐里工房のオリジナルの桐の囲炉裏テーブルの製作シーンやご使用方法のご紹介を撮影して、魅力的な囲炉裏テーブルをご案内致しております。


2019-01-26

大川家具の歴史と、榎津指物の起こり

江戸時代後期の幕末の頃の大川、榎津指物は舟大工の高度な技術力が基本になって、進歩していった為に、質素な表向きと堅固で板厚みも出来るだけ厚く仕上げ、頑丈な作りが好まれました。又、和服もお洒落着が流行して華やかな男女の着物が定着していました。

ところが、九州での気候は高温多湿な為に大切な着物にカビが生えてしまう為に、どうしても桐箪笥が必要でした。

この為早くから大川では桐箪笥が独自の技法で作られていました。

この頃の田ノ上初太郎(二代目嘉作)製作の、現在も残っている桐箪笥の作りを見てみると、大正、昭和初期に造られた桐箪笥と同じ技法になっている…。

大川独特の桐箪笥 は胴板(ガケ板)と棚板の組み手に前蟻組と後蟻組が使われている事が他国と違う手法になっているのである。

この事から大川の桐箪笥は他国の影響を余り受けずに進化したと考えられる…。

又、箪笥の呼び名も幅6尺の箪笥を一間物、幅5尺は八合物と呼び、3尺巾は五合物とよんでいた。

この頃の大川で、榎津指物で製作された物は桐の箱物各種、桐箪笥、桐の手あぶり火鉢(角形)、三味線箱や書棚、飾り棚、文箱、文机、座鏡台、座卓、帳ダンス、手元箪笥等、背が低いものが主に造られていました…。

 

ーーー後に続くーーー

 


2018-11-22

大川家具の歴史の写真


2018-10-28

大川家具の歴史と、榎津指物の起こり

ーーー前の投稿の続きーーー

 

大川家具の歴史と、榎津指物の起こりー

江戸時代後期の幕末には、大川の榎津指物は港の繁栄に伴い、需要が増えていました。  

榎津指物は舟大工の技術が基本に進歩していった為に、質素な表向きと堅固で板厚も厚くて頑丈な作りが好まれました…。

大川家具の原点は桐箪笥であるが、この時代に作られた田ノ上初太郎(2代目嘉作)の造りを見ると、明治、大正時代に作られた桐たんすと同じ技法になっている…。大川独特の造りの桐箪笥はガケ板と棚板の継ぎ手に、前蟻組みと後蟻組みが使われているところが、他国と違う手法になっているのである。この事から大川の桐箪笥は他国の影響を全く受けずに進化したと考えられる…。

この頃、大川で製作されていた榎津指物は、桐の箱物(桐と杉が併用されていた)、帳箪笥(欅や杉)、桐箪笥(前桐、三方桐、四方桐、総桐に分けられて製作されていた)、長持ち(杉、松、モミ、桐)、手あぶり火鉢(桐の箱型)、三味線箱、刀箪笥、衣行、手元箪笥、文箱、文机座鏡台等がありました…。

ーーー後に続くーーー

 


2018-10-28

大川家具の歴史と、榎津指物の起こり

ーーー前の投稿の続きーーー

ー大川家具の歴史と、榎津指物の起こりー

江戸時代後期になると大川には舟大工100名、榎津指物の流れを汲んだ指物師80名が腕を競って、木造船や、建物、建具、組子、欄間彫刻、そして家具調度品を製作していました。

この頃田ノ上嘉作が文化9年[1812年]に榎津長町に生まれました。

彼は職人として修行を積みますが、は18歳の頃、大阪で指物の細工を学んだ、優秀な指物師が久留米にいると聞き、直ぐに弟子入りをした。その技術を学んで大川に持ち帰り、今までの榎津指物に箱物技術を加えて新しい箱物家具を作り始めました…。

この技法は子の儀助、更に孫の小平次へと伝承されました。これが榎津箱物の始まりと言われています…。

更に、嘉作の死後、もう1人の孫に当たる田ノ上初太郎が家業を継ぎ、16歳で嘉作の名を名乗るまでになった、彼は長崎の唐木指物の細工技やオランダ家具の技法を学び、榎津指物に新しいこれらの技法をとりいれて榎津指物をさらに確かなものにしていった。

小降りの桐たんすも作ったようで、大牟田の『T氏』宅にこの2代目嘉作の桐箪笥がげんざいも残っている。

又、嘉永6年大川で創作された製作年号入りの桐たんすが、大川市の管理のもと、学術調査を行った後、保存されている。

 

ーーー後に続くーーー


2018-10-27

大川家具の歴史と、榎津指物の起こり

  • 榎津久米之助は安土桃山時代の天正10年[1.582年]8月10日、96歳で
  • 死去した。
  • その後、家臣達は榎津久米之助の精神を受け継いで、榎津指物を製作して(調度品や家具、収納箱、武将箪笥等々)、立派に工商を成していきました。

主に使用した木材は、主に桐の木や杉、檜、もみ、他雑木類であった。

 

又、天正17年[1589年]天草の志岐一族は加藤清正によって滅ぼされた志岐城を明け渡し、志岐経長は弟の経弘、他郎党数名を伴い、島原湾、有明海を北上しました…。

そして筑後川の左岸の大川榎津の願連寺の開祖、故榎津久米之助(僧名ー善明)を頼って移住しました…。

経弘(又兵衛の父)と久米之助は、生前より旧知の仲で、同じ武家ということで昵懇の間柄だったのです…。

 

志岐経長一族は苦労しながらも、久米之助の家臣達の協力も得ながら、花宗川のほとり(庄分)に定住する事が出来ました。

当時の柳川藩主、立花宗茂は志岐一族が持っている高度な造船技術力を活用して、大きな木造船や家屋の建造に取り組み、かたや建具や調度品や武将箪笥、籠等を作らせました…。

使用されてた木材は主に桐、杉、檜、竹だった。

この様に海洋族である志岐一族が、榎津の庄分に移り住んだことによって造船技術力の更なる高度化や屋大工や建具そして榎津指物の発展に繋がっていきました。

 

江戸時代になると、大川は筑後川水運と有明海航路を結ぶ要港として栄えていきます…。

又、江戸時代の大工(基本的には半農半工であった)は、屋大工の傍ら建具も作り、家具調度品や武将物等も作っていました。

その腕利きの大工の中で、意欲のある者が他国の指物師に弟子入りしてその技術を習得して大川に持ち帰り、今までの榎津指物に新しい指物技術を取り入れる者が現れて、榎津指物を確かなものにしていった。

 

江戸時代後期になると ーー後に続くー


2018-10-26

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・製品の仕様は製品改良のために予告なく変更することがありますのでご承知ください。
・カタログに掲載されている製品の色調が実物と多少異なる場合がありますので予めご了承ください。

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